
HOME > STAFFブログ > STAFFブログ > 犬公方・綱吉「生類憐みの令」2
2010年04月28日 | STAFFブログ
犬をことさらかわいがったばかりに犬公方と揶揄された徳川綱吉。彼が作った「生類憐れみの令」の話のつづきです。
■生類憐みの令、廃止へ
とかく評判のわるかったこの法令。のちに6代将軍となる徳川家宣(綱吉の甥で、養子となる)は、将軍後見職に就任した際、 綱吉に生類憐みの令の即時廃止を要求したといわれています。綱吉はこの廃止要求を拒絶し、死の間際にも「生類憐みの令だけは世に残してくれ」と告げたとい われています。が、綱吉の死後、宝永6 年(1709 年)、新井白石が6代将軍家宣の補佐役となると綱吉の葬式も終えぬうちに、この法令はすぐさま廃止されました。
ちなみに、江戸幕府滅亡後の明治初 期に、新政府の大木喬任が旧幕臣の司法省官吏菊池駿助らに命じて編纂させれた江戸幕府の法令集「徳川禁令考」には、この「生類憐れみの令」が記されておら ず、幕府の権威を失墜させた法令に関しては意図的に削除したのではないかといわれています。
■生類憐みの令、廃止後の余談
こ の時、江戸市民の中にはこれまでの腹いせとばかりに犬を蹴飛ばしたりしていじめる者もいたといいますから、犬たちにとっては災難ですね。
ま たこの法令が廃止されて以降、江戸庶民の間に猪や豚などの肉食が急速に広まっています。滋養目的の「薬喰い」から、肉食そのものを楽しむ方向へと変化し、 現在まで続く獣肉(じゅうにく)料理専門店もこの時期(1710年代)に現れているそうです。
もっとも、それまでも日本では仏教の影響も あって獣肉を食するのを嫌悪する風潮はあり、本格的に獣肉を食するようになるのは明治時代以降になってからです。