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2010年04月27日 | STAFFブログ
日本の歴史上の人物の中で、犬にまつわるエピソードが多く、もっとも評判が悪いといえば徳川綱吉でしょう。「生類憐れみの令」という天下の悪法を発布して、犬をことさらかわいがったばかりに犬公方と揶揄されました。綱吉が犬をかわいがった理由は、自身が戌の年、戌の月、戌の刻に生まれたことによるものであることはよく知られています。
■生類憐みの令は犬のための法律ではなかった。
綱吉が出したいわゆる「生類憐みの令」は、そのような名前の成文法として存在するものではありません。いくつかののお触れを総称しているだけです。この法令は「犬」だけが対象とされていた勘違いされているが、実際には猫・鳥・魚類・貝類・虫類などの生き物にまで及んでいるそうです。
一般的に「天下の悪法」として認識されていますが、江戸時代史見直しと共に徳川綱吉治世の見直し論も起こり、この法令に関しても再検討されているようです。
お触れを出した当初は「殺生を慎め」という意味があっただけの、いわば精神論的法令であったようなのですが、違反者が減らないため、ついには御犬毛付帳制度をつけて犬を登録制度にし、また犬目付職を設けて、犬への虐待が取り締まられていた様子。元禄9年(1696年)には犬虐待への密告者に賞金が支払われることになりました。こんなことから、単なる精神論を越えて監視社会を作り出したため、「天下の悪法」として一般民衆から幕府への不満が高まったものと見られています。
■生類憐みの令は江戸だけ?
生類憐みの令は、江戸以外の地方においてはそれほど厳しくなかったようで、当時のことを詳しく記載した尾張藩士・朝日重章の日記『鸚鵡籠中記』によれば、朝日重章は魚釣りや投網打を好み、法令がなくなるまで計76回も漁場へ通いつめて「殺生」を重ねるなどの禁を犯しています。また、長崎では豚や鶏などを料理に使うことが多く、生類憐みの令がなかなか徹底しなかったようです。